松江の街を歩いてみる(続き)〜寺町界隈〜 |
2022-06-04 Sat 09:11
街歩きは続きます。売布神社を出てしばらくして寺町に入った。この通りにはたくさんのお寺がある。
松江の街は亀田山にお城があってその周りには藩の役所や武士の屋敷が配置されて、屋敷は戦の時には防御の砦にも使う計画だったようだ。その外側に堀があり、内側がつまり「堀の内」となる。堀の外側と街の南北を分ける大橋川の両岸は水運がよく多くの商人、また職人などの街になっていた。 城下町作りに当たって、さらに南側には、多くのお寺を持って来ている。これも戦の時の砦にも考えられていた。また、武士が集まる場所にも考えられていたようだ。実に計画的に城下町が作られています。そして、その面影が多く残っています。 このお寺は善導寺 ![]() そして、慈雲寺 ![]() 長満寺、隣り合わせのようにお寺がかたまっています。 ![]() しばらく歩いて、龍昌寺、ここは小泉八雲縁のお寺だ。 ![]() 境内には石地蔵、16羅漢像があり、八雲は興味を持って度々訪れたという。 ![]() 色々な表情があり、八雲もそれを見ながら色々思い巡らしたのでしょう?? ![]() そんな謂れが書いてあります。 実は50年前このお寺に泊まったことがあることを思い出した。このお寺、当時の同級生の家で遊びにいったんです。もちろん、その頃はそんなお寺とは知りませんでしたが、、、、、。 下の写真の説明書きは前住職(友人のお父さん)の言と現住職が書いておられます。友人とは高校卒業後全く会ってないけど、一家は他の街に移られたのでしょう、、、、。 ![]() さらに進んで南寺町、立派なお寺常教寺 ![]() そして、安栖院 ![]() さらに進んで白潟天満宮の東側に今も残る松江藩の人参方の門、ここは外貨稼ぎの為に特産物の朝鮮人参を集めて国内は元より中国まで輸出して多くの外貨を稼いで幕末には軍艦を作ったり、兵器を購入する資金にしていたようです。 ![]() 今は貧乏県の島根、でも18世紀後半からの財政改革で多くの特産物を作り、幕末には裕福だったようです。 ![]() だんだん昔の面影は消えていきますが、細かく歩いてみるとこの街の成り立ちがわかって来ます。 今や、スマホ1台あれば色々な情報が得られ、キャッシュレス決済も簡単だ。どんどん情報はあっても消化しきれない、また、情報が多すぎる分、薄っぺらで繋がりや物語性が少ない。 歳を取ってくると昔の思い出などに帰るというけどそうではなく、古いものは見ていると重みがあり、先人の喜怒哀楽や思いなどの物語が浮かんで来るようで面白いです。 ポチッとやっていただきますと元気が出ます ![]() 人気ブログランキングへ ![]() にほんブログ村 ![]() にほんブログ村 ![]() にほんブログ村 スポンサーサイト
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この記事のコメント |
+船頭さん
こんにちは 船頭さん
昨日 タグラグビーの結団式がありました。 いよいよ来週から12月(除く夏季休暇)まで毎水曜日通います。往復4時間ですが好きなラグビーですから頑張ります。 素流人さんは お堀遊覧のお仕事がお忙しいようですね。 修学旅行芸北、豊平小の児童が5月26,27だったか お世話になった模様です。 学校掲示板にそのときの写真が掲示してありました。 船頭さんは素流人だったのかどうだか。 ブルーベリーが色づき始めているでしょうか?
2022-06-04 Sat 14:05 | URL | ゆうちゃん #- [内容変更]
ゆうちゃん おはようございます
ご無沙汰してます。 好きなラグビー楽しんでね。 でも凄いまだ動けるんだから、、、、、。 そうそう、芸北・豊平の小学生、昨年に続き来られましたよ。 残念ながら今年もお乗せできませんでした。 この日は、大手前にて勤務で一般客対応でした。 5月中旬から取り敢えず今月いっぱい多くの学校の 修学旅行等が目白押しで、忙しいです。 いただいたブルーベリー付いて新葉が出て来て元気になりましたが実の方は どうだったか、、、、、。
2022-06-05 Sun 08:49 | URL | 素流人(ソルト) #- [内容変更]
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| 素の暮らし |
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