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素の暮らし

自然で素朴な暮らしを目指す初老爺の日記

国宝松江城に行ってきました(2)

 松江城の続きです。

 二の丸から道の突き当たりを左に曲がるとここが本丸の入り口です。

200216本丸入り口

 そして、右に曲がると堂々とした国宝松江城が眼前に現れます。彦根城や姫路城のように綺麗ではなく黒っぽく武骨と言っていい感じの城です。

200216松江城天守1

 城の玄関となる附櫓、ここから入ります。松江城は4重5階で地下1階付きだ

200216附櫓

 中に入って最初に地下部分に行く、地下と1階の通し柱があり、祈祷札が引っ掛けてあった場所があり、そこと発見された祈祷札の穴が一致した。因みに祈祷札は一つ前にアップした松江神社にあって長らくその存在がわからなかった。そして、その祈祷札には慶長16年正月吉祥日と書かれ、松江城が完成した時期が判明した。それまでは完成時期が不明なため国宝にはならなかった。

 戦前は国宝だったが、昭和25年に法が変わり、文化財保護法で重要文化財に格下げされ、再度の国宝指定は松江市民の悲願でした。

200216祈祷札

 その横には篭城に備え20数mの井戸が掘ってあった。 

200216地下の井戸

 また、さらにその横には塩蔵がある。ここは板は外してある。

200216塩蔵1


200216塩蔵2

 地下から伸びる通し柱、これは一番大きい柱と表示してある。
 松江城は2フロア分の通し柱をたくさん使い、天守の重みを分散して下層階に伝える特徴ある工法でこれも国宝指定の一つの要因だそうだ。慶長16年といえば1611年、関ヶ原の戦いが終って江戸時代にはなったが、まだ大阪冬・夏の陣(1614・15年)前夜でいつ戦乱の世に逆戻りするかわからない時代、戦も想定して築城されている。

200216天守最大柱

 大きな通し柱は包板と帯鉄を使ってさらに強度を増している。太い木の柱にさらに厚さ4〜5cm板を巻きそれを帯鉄を打って固定し、さらに太い柱にしている。これも大きな特徴だ。

200216包板の柱

 比較的下層の階にはこうした鉄砲窓や

200216鉄砲窓

 石落としなどがあり、敵を撃退する機能を持っている。
 城の中は暗く階段も急です。観光客のオバハンがエレベーターないの???なんて言ってました。
 江戸時代以前の天守が現存する12の城の一つ、それが売り物なのでそんなもんないわ〜〜〜

200216石落とし

 天守閣に上がりつきました。
 東を望みます。生憎の雨です。

200216天守閣から東を望む

 西を望みます。向こう側になだらかな山が見えますが、ここは「あらわい山」と言いますが、堀尾吉晴と2代目忠晴は築城する場所を選定するため松江の南側にある床几山に行き下見をした。吉晴は「あらわい山」に築城を考えていました。でも、2代目忠晴は山が広すぎて城が小さく見えるので、堂々と見えるコンパクトな亀田山が良いと反論、その後、忠晴は不慮の事故で亡くなり、吉晴は息子の意志を継いで亀田山に築城した。まあ〜山が広すぎて築城に金もかかるし、水運も良く、回りが湿地で攻めにくいのもあったそうだ。

200216天守閣から西を望む

 南側は宍道湖が見えます。

200216天守閣から南を望む

 北側は緩やかな山が連なります。

200216天守閣から北を望む

 これは天守閣の床です。敷居のようなものがあって、その向こうが縁のようになっています。藩主が登城する際には天守閣には畳が敷かれたようです。また入り口からの通路も畳が敷かれたとか、、、、。

200216天守の床

 これが国宝の指定書です。たぶん本物はどこかに保管してあると思いますが????

200216国宝指定書

 天気が悪く眺望は残念でしたが、桜が咲く頃の天気の良い日にまた行ってみたいと思ってます。暖かくなれば周辺の散策も気持ちが良いでしょう。

 長くなりました、ここまで見ていただいてありがとうさんです。

ポチッとやっていただきますと元気が出ます


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